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今回のことば 「世の為、人の為になっているか?企業はすなわち人なり」 ~2019年 改めて経営を考える~
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こんにちは。松井哲也です。
2019年は、新元号、働き方改革、消費税増税と、新しい時代を示すイベントが
数多くある年です。
そんな中、昨年末より業界を揺るがすニュースが連続で飛びこんで来ています。
賃貸店舗での引火爆発事件、アパートメーカーによる施工不備問題。
残念ながら、関係者の人々は、これらの出来事を予測していたのではないでしょうか。
船井幸雄が生前、社員、経営者の前で話していたことを思い出します。
「自分だけ、今だけ、お金だけ」ではいけない。
「他人も、未来も、お金じゃない価値も」大事にしてはじめて、
世のため、人のために経営したり、行動したりできるということです。
「経営のあり方」と「人としてのあり方」を一体化しており、つまるところは
人間性を高めて、周囲に貢献することこそ、もっとも大事なことだと考えていた
のです。
改めて、残した言葉をご紹介したいと思います。
【企業はすなわち人なり】
収益性、教育性、社会性のどれをとっても、
これらをいちばん効率的にやれるのはいまのところ企業です。
ここまでは、誰にも異論はないと思います。
それに加えて、これは社会性、教育性、収益性の順番である、
というのが私の考え方でした。
こちらのほうについては、反論も少なくないような気がします。
「儲からなくては社会性も教育性も何もないではないか」。
そしておそらくは、「綺麗ごとを言うな!」とも。それはそのとおりです。
しかし、収益性のみを追求して他を顧みない企業が、
伸びて伸びて大企業になったり、さらに安定して存続している例はほとんどない、
という私の観測も否定できないと思います。
もちろん運が良ければ、収益性のみを考えてやっていても
ある程度までは伸びていくことはあるでしょう。
ところが、それではいつか必ず限界が来ます。
最初は収益性一本やりでいったとしても、
どこかで脱皮して社会性や教育性に目を向けていかないと、
結局は行き詰ってしまうのが企業というもののようです。
もう一つの、綺麗ごとを言うな、というのも確かにそのようにも見えます。
綺麗ごとというのは、理想論と言い換えてもいいでしょう。
私は、「企業は利益ばかりを追求するのではなく、世のため人のためにならなくてはいけない」
と言っているのですから、これはまさに理想論です。
しかし、その理想論を本気で唱えているのは、
長年ずっとビジネスの現場でやってきた人間であるからです。
私も利益最優先で突っ走っていた時期がありました。
それがいま、結局はこの“理想論”に戻ってきたのです。
釣りの世界では、「鮒釣りに始まり、鮒釣りに帰る」というそうですが、
それとよく似ています。
初心者の鮒釣りと、釣り歴40年のベテラン釣り師の鮒釣りと
は、一見して同じように見えても、自ずと違っているもののはずです。
やはり、企業というのは社会性と教育性を抜きにしては考えられないと思うので
す。収益性のみを言いたくて社会性と教育性を抜きにする経営学者がたくさんい
ますが、それは正しくないと思います。
その理由を一つあげれば、人間というのは大義名分なしには、
大きなことはほとんどできない存在だと思うからです。
大義名分、つまり収益性だけでなく社会性や教育性を追求するという目的があれば、
経営者も社員もより働く気になって働けるのです。
人間は大義名分を持って自分の行為を正当化しないと上手に生きて
いけないようです。そして、企業活動といっても、しょせんは人間がやることで
すから、これは自明の理だと思えます。
そう、企業活動をしているのは、他の何者でもなく人間なのです。
生産性を重んじる現在、いかにして効率よく、業務をこなし、売り上げをあげる
か。そこには利益を最重要視する風潮が見受けられます。そこに人の成長もある
と。企業の原理原則を今一度考えてみたいです。
「経営の神様」と言われた舩井幸雄は、
行き着くところ、「人としてどう生きるか?」という“理想”を追いかけていたと思います。
結局は、人のやることだから、人を大事にし、人を育て、
ともに成長していくことが、企業経営でもっとも大事なこと。
そうして、世の中に貢献し、各自がそれぞれ幸せになりつつ、
良い世の中をつくって、経営体を維持、発展させる経営法
が原理原則にのっとった正しい経営法だと、舩井は幸雄は言っていました。
2019年は、時流に合わせ、新しい事に挑戦しながらも、
改めて原理原則に立ち返る事も重要なことでしょう。